葬儀・人生の最期は後悔のないように。しっかりと自分の足跡を引き継ぎませんか。

今回ブログをかくにあたって見出しをどうしようか本当に悩みました。
やはり人間の死に関することはみなさんも抵抗があるのではないでしょうか。
実際に私もそうです。
日常生活においてよっぽどきっかけがない限り【死】を意識することはないと思います。
父の死
身近すぎて逆に実感を得られないこともあります。父の死がそうでした。
受け入れているようで受け入れていない。
正直受け入れたくない気持ちが一番正解だったのかもしれません。
父が無くなる前、私は離れてくらしていました。
その日、母はそれまでの看病疲れか携帯がなるのも気づかず寝ていたらしく母と連絡が取れない病院から直接(遠方に住む)私に連絡が入りました。
看護師さんからの連絡であわてて着替えなどをスーツケースに詰め込み飛行機で病院に向かった時のことをいまでも覚えています。
父が可愛がっていた孫(私の息子)も学校があったのですが学校の授業よりも父に息子の顔を見せてあげたい。
逆に息子にも最期になるであろうお祖父ちゃんにあわせてあげたい。息子もそれを望んでいました。
とにかく急いで息子を連れて一番はやい飛行機の便の予約をとり病院へと向かいました。
その時(元旦那になりますが)私と息子が父に会いに行くことに関して全く反対もせず行かせてくれたことには今でも感謝しています
。
朝の電話で看護師さんからはいつ最悪の事態がおこってもおかしくないと聞かされていましたので、とにかく私達が行くまでお父さん頑張って!生きている間にもう一度会いたい!
そう願いつつも、どこかで覚悟を決めて病院へ向かいました。
朝の8時ころ連絡がはいり病院についたのはお昼過ぎ。
父はかろうじてまだ意識がありました。
母とも連絡がとれたようですでに病院の父のベッドの横に座って様子を見守っていました。
最期のお別れ
父は私達がいくのを待っていたのでしょうか。
あの時父は意識がもうろうでしたが確かに私達を認識していたと思います。
多少なりとも反応はありましたから。
がん・ステージ4
肺がんになって発見したときは既にステージ4…
前向きな父は自分は絶対にガンで死ぬはずがないという気持ちが強くステージ4と言われてからも4年くらいは現役で仕事をしていました。
ステージも私達が聞いても知らないと教えてくれなかったほどです。
食欲がなくなると弱りだしてきます
弱りだしたのはやはり食欲がなくなってからでしょうか。
健康なわたしでさえも食事がとれないと【気】が弱くなり何もスル気にもならないし出来ない状態になるのに、
ましてや肺腺癌と診断されながらも頑張ってきた父の食欲がなくなった…
正直まずいなとおもいゼリー状の栄養剤やバナナなどいろんなものを勧めましたが
やはり体が受け付けなかったようで口に入れるのさえ難しくなっていました。
今思えばその時点でカウントダウンが始まっていたのでしょう。
今すぐにお別れになってもおかしくないとの病院からの電話で駆けつけましたが
亡くなったのは丸一日経った翌日のお昼すぎ。
神様が一日時間をくれたのかなともおもいました。
会話はできませんでしたが、体をさすったり普段読みもしないお経を唱えたり…
その時私にできることを寝ないでいっぱいしました。
私と息子が駆けつけて丸一日後・・・苦しまず父は逝ってしましました。
息子は父が(おじいちゃん)が大好きだったので、亡くなった後しばらく父にしがみついて離れずにずっと泣きながら抱きついていたのをいまでも思い出します。
父が亡くなってから今までその時のことを文章で書いたのは初めてです。
細かい事は割愛しますが
父は一番かわいがっていた孫と娘、母の見守る中で旅立てたことをどう思っていたのでしょうか。
正直わかりません。(残念ながら兄は東京で仕事がありかけつけることはできませんでした)
でもエゴかもしれませんが、少なくとも私たちは父の旅立ちを一人にさせなかったこと、父の人生の最期に立ち会えたことによって後悔はありませんでした。
それぞれの家庭の事情はあるとは思いますが
人生の最期って本当に大切にしてあげたいですよね。
お葬式・葬儀屋さん
亡くなった後は葬儀屋さんとの打ち合わせ。
何もわからない中、色々丁寧に説明をしてくださりほぼ全ておまかせして葬儀の準備をしました。
うちの父は長男ではなかったので決まったお寺さんがありませんでしたので葬儀屋さんと相談をしつつ準備をすすめました。
お葬式の際のお寺さんも紹介していただきました。
葬儀屋さんの担当の方にもよるとは思いますが、とにかくこちらの意向を尊重してくれて何より母に安心感を与えてくれたのがありがたかったです。
人生最期のお式。
いいお葬式をあげることができて本当によかったです。
人間は生かされている。
その人生をきっちりと引き継がないといけないと思っています。
終活という言葉
近年、終活という言葉も普通に耳にするようになりました。
でも終活って言葉、実は私自身は好きではありません。
死ぬ準備みたいな印象がどうしても拭えません。
私が思う収活(あえてこの字を使ってます)って生きてきた足跡をしっかりと残して
安心してこれから先の人生を生きるっていうふうに捉えています。
そういう意味ではエンディングノートも直訳したら最期のノート。
そうではなく私の中では引き継ぎノートっていうイメージです。
ちなみに。。。
うちの父は生前、骨は海に撒いてくれと言ってたのですが、性格的に本当か勢いか冗談で言ったのかわからなかったので撒くのはやめました。
そう考えると引き継ぎノートは書いておいたほうが良いと思います。
女優の財前直見さんが「ありがとうファイル」というのを出版してらっしゃいます。
エンディングって言葉に抵抗があるかたは是非オススメします。
終活の資格取得方法や取得までの期間や費用を比較して申し込みしてリアル口コミしてみました【2020年12月追記】